千葉と成田でサルサを教える社長のブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 信ずる者は救われる

<<   作成日時 : 2010/08/12 00:45   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

そうそう、自分でも不思議だったんですけど、やはり自分の中に、なにか踊る事によって自分が変われるような、人生の先行きといいますか、大げさかもしれないけれど、生きる望みが出てくるような気がしているのは、事実です。


うん。そういう風に、望みを託せるもの、対象が、私の中に無かったのも、事実です。
ひどい話ではありますが、友人とか会社とか女性とか、お金にも望みが託せなかったわけです。


「信ずる者は救われる」

「ウソつけ!ボケ!」
と、言ってしまうのが、まぁ私の本音だったわけです。


「頼る」ことと「信じる」とこは、もしかして同じ事なのかも。そうそう、「信頼」っていう言葉がありますよね。
信じなければ頼る事はできないですもんね。


昔は、人を頼らないと生活がままならなかった。
人の手を介したつながりが、生活、仕事、社会全体に多かったわけです。
電車に乗るのでさえ、一々駅員さんに切符を渡して、鋏を入れてもらって返してもらう、という交流があったわけです。

今は、人と接することなく、生活が成り立たせることが可能になったわけです。
例えば、人と接するのは「コンビニで買い物する時だけ」みたいな。


そいでもって、私は後者の、現代的な生活にどっぷりと浸かっていたわけですが、これがつまらない事に気がついてしまった。

な〜んにも信ずるものがない、頼るべき存在がない、というのは虚しいものです。
しかも、信頼の対象が物やお金では、その虚しさは取り払う事が出来ないんですね。

やっぱり「人と接する」「人を信ずる」「人を頼る、頼られる」という関係が無いと、どうしようもないくらい虚しく、さみしいわけです。


私がサルサというものを目の当たりにしたのは、4年前のロスバンバンライブだったわけです。
その翌週から、偶然にもYoriko先生のクラスに通い始めたのは、私の得も言われぬ願望が、そういうご縁を引き寄せたのかもしれません。


そしていまの自分があるわけです。
さらに今の自分があるからこそ、これからの自分というやつも、成立するわけですよね。

「信ずる者は救われる」

「うん、そうかもしれません」


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
信ずる者は救われる 千葉と成田でサルサを教える社長のブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる